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喪中の新年の過ごし方について

喪中喪中時には新年の挨拶で賀詞を使わないことや年賀状の差し出しを控えるという習わしは多くの方が認識していると思いますが、お正月に行う風習は他にも様々あります。日本における昔ながらの風習の中でも特に長く根付いているもののひとつとしてお正月の初詣があります。元旦のみならず機会があれば参拝に行こうと予定を立てている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回の記事では、喪中の新年の過ごし方について詳しくお伝え致します。


新年の行事について

神社新年の行事の一つとして正月飾りを屋内外関わらず飾る方も多いのではないでしょうか。ですが、喪中の正月では基本的に正月飾りも控えます。門松や鏡餅・しめ縄などは神道の習慣ですので、神道の忌明けとなる五十日以降は飾っても問題ないという意見もありますが実際には飾らないのが一般的です。この様に喪中の正月飾りの可否については人によっても考え方に差異がありますから、特に屋外には正月飾りをしない方が無難と言えるでしょう。
初詣については、喪中の年は一般的に控える方が多いのですが、実は厳密に言うと神社とお寺では事情が異なります。先に少し神道の忌中期間について触れましたが神道の忌中期間は五十日間とされていて、その期間中は神社にお参りすることだけでなく、鳥居を潜ることもしてはいけないとされています。ですから、神道の忌明けとなる五十日以降でなければ初詣で神社を参拝することはできないという事です。また、注意が必要なのが神社によっては喪中期間(十三ヶ月)も参拝を禁じているところがあるという点です。このような点を踏まえ喪中の年は神社への初詣は控えた方が良いでしょう。一方、お寺には死を穢れとする考えがありませんので喪中にお寺を訪れても問題ありません。喪中の年始にお参りをし日頃の感謝などを祈りたい場合にはお寺を訪れるようにすると良いでしょう。
また、親族や親しい間柄の方の中にお子様がいらっしゃる場合にはお年玉についても疑問に思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。お年玉の本来の意味は年の初めに年神様から新年の魂を分けていただくといった「神様からのおくり物」を意味していたので、喪中には避けた方がいいと言えます。ですが、近年は儀礼的な意味は薄れてきていますし、お小遣い感覚で渡されていることが多いです。また、年に一度貰えるお年玉ですから子どもたちが楽しみにしていることも多いでしょう。そんな子供たちに何かしてあげたいという気持ちを大切にして、おめでたい柄のポチ袋を避けたり、表書きを「お小遣い」や「気持ち」などにしたりして渡すのであれば良いのではないでしょうか。近年では様々な店舗でおめでたい柄以外のキャラクター柄や表書きがユニークなポチ袋も比較的安価に販売されていますから、検討してみて下さい。
おせち料理に関しては正月の祝い料理なので、喪中のときは基本的には控えましょう。おせち料理の中でも特に、めでたいことを意味する鯛や昆布巻きなどや紅白のかまぼこなどは避けるようにしましょう。ただ、そうしたものを除き普段の料理として食べるようにするのであれば問題はありません。お雑煮についても、お供え物の餅を避け普段の食べ物として質素に食べるのであれば問題ないでしょう。一方、年末の年越しそばについては、「長寿を願う」や「一年の厄を落とす」という意味を込めて食べられているものであるので祝い事とは関係がありません。ですから、年越しそばは喪中でも問題なく食べることができます。

喪中の結婚報告について

ここからは余談となりますが、お正月と同様の慶事である結婚についてです。喪中と結婚の時期が重なってしまった場合は、結婚報告の知らせを送っても良いのか悩んでしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。一般的には喪中では、結婚式などのお祝い事(慶事)は避けるべきとされていますので、結婚報告のはがき等は送るべきではないと言えるでしょう。ですが喪中であるからといって結婚の報告をしないという訳にはいきません。喪中の際に結婚報告の挨拶をする場合には、寒中見舞いや暑中見舞いの中で近況報告としてさりげなく含め報告するという方法があります。本来、寒中見舞いや暑中見舞いでは寒さや暑さが厳しい時期に先方の身体を気遣い、送る挨拶状です。あくまでも季節の挨拶が主題になると考えられますので、その中で近況の報告として自身の結婚を伝えても「お祝い事を報告するための挨拶状」とはならないでしょう。使用するはがきのデザイン等に悩む方もいらっしゃるかと思いますが、基本的には市販されている寒中・暑中見舞い用のはがきで問題はありません。喪中だからといって白黒のデザインや季節の柄が入っていないデザインのはがきを選ぶ必要はありませんが、派手過ぎるものを選ぶのは避けたほうが無難でしょう。注意が必要なのが通常の結婚報告だと写真を載せるのが一般的となりますが、写真を載せてしまうと祝い事の印象が強くなってしまうので控えるようにしましょう。また、一枚のはがきで喪中の知らせ・結婚報告を同時に行うことは出来ません。ですから、事前に喪中はがきを出した上で寒中見舞いや暑中見舞いなどの形をとり結婚報告を行うようにしましょう。


神社とお寺での参拝の違いについて

初詣一般的に初詣=神社という印象を持っている方が多くいらっしゃるかと思いますが、神社ではなくお寺に行く方も勿論いらっしゃいます。神社に初詣に行く理由としては、氏神様が祀られているところにお参りしご挨拶をするということが挙げられますが、お寺にも仏様が祀られているのでお参りをするという考え方からお寺にお参りする方も増えています。大切なのは、初詣の仕方・お参りの仕方のマナーを守り、神様や仏様に真摯に向き合うことです。お寺の場合は神社への参拝とは異なり忌中・喪中でも足を運んでもいいとされています。それにはきちんとした理由がありますので、詳しくお伝えしていきます。
神道と仏教における死生観や、「死」に対する捉え方には違いがあり、忌中・喪中の初詣の可否はそれが深く関係しています。それでは、神道と仏教における死生観や、「死」に対する捉え方についてみていきましょう。

神道における死生観
神道では死を「穢れ」と捉え、忌中の間は穢れが残っているとされています。よく混同されがちなのですが、「穢れ」は「汚れ」と同じ読みですが同じ意味の言葉ではありません。穢れは「気枯れ」とも呼ばれていて、大切な方が亡くなり気力を失っている状態等を指すとも言われています。このような状態で、神様のおわす神社にお参りすることは失礼であると考えられていて、穢れが神域や周りの方にも及ぶ可能性もあるということで身を慎むべきだと考えられているのです。加えて、気が枯れている状態でお参りをしても神様にしっかりと向き合えていないので意味がないとも考えられています。このような考え方は、神道における葬儀にも見られます。具体的には、仏教の場合はお参りの対象であるお寺でも葬儀を行えますが、神道の場合は神社では葬儀は行いません。神式の葬儀の場合は葬儀場などがよく使われるのは、こういった死生観からくるものです。
仏教における死生観
仏教においてはいくつかの宗派がありますから、それぞれで考え方が異ってきます。しかし一般的な考え方としては「亡くなった方は四十九日をかけ旅をして、最後の判決でどこにいくのかが決まる」と捉えています。仏教では、お正月に参拝することを故人や先祖に新年の挨拶をしにいくという捉え方をし、神道とは異なり死は穢れとは捉えません。その為、仏教では信仰施設であるお寺でも葬儀を行うことができますし、忌中・喪中の期間もお寺にお参りしても良いと考えられているのです。(※考え方にある程度差はあります)信仰対象となる仏様はそれぞれの宗派によって異なりますが、一般的なお参りをする分にはあまり分けて捉えられる事はありません。
ただし、在来仏教であり、かつ信者の数が多い浄土真宗では考え方が大きく異なります。浄土真宗は阿弥陀仏を信仰し、ほかの宗派でみられる「四十九日間かけ旅をする」という考え方は持ちません。浄土真宗では、亡くなったらすぐに阿弥陀如来によって極楽に連れていかれるため、追悼供養や喪中、忌中の考え方を必要としないのです。ですからこの期間に初詣に行っても構いませんし、慶事を慎む必要もありません。また、四十九日法要などを営む必要もありません。「しなくても良い」であって、「してはいけない」ではありませんから、気持ちの整理をするというような意味から、四十九日法要を行う場合もあります。

この様に神道と仏教における死生観や死に対する捉え方には違いがあることはご理解頂けましたでしょうか。神道では穢れが残っている忌中の間には神域である神社に詣でる・神棚を拝むことは望ましくないと言われ神社にまつわる慶事も避けた方が良いとされていて、仏教では正月に参拝することを故人や先祖に新年の挨拶をしにいくという捉え方をし、死を穢れとしてとらえる考えはありませんから、忌中であってもお参りすることができるのです。ですから、忌中に初詣をしたいと考えている方はお寺で行うと良いと言えるでしょう。

初詣と喪中・忌中について

一般的に知られている喪中のイメージでは「晴れがましい事やお祝い事を避けた方が良い」と思われているかと存じます。年末年始に差し掛かると、新年の挨拶を辞退する旨を知らせる喪中はがきを目にしたり、祝い事を控えているなどといった話を聞いたことがあるかもしれません。このように「喪に服すための期間」として認識されている喪中ですが、実際には喪中でも神社・お寺への初詣は可能なのです。ただし注意が必要なのが神社への初詣や参拝に関しては先にお伝えしたような条件付きという点です。まず、そもそもの喪中についてですが、「故人が亡くなった翌年である一周忌(または一周忌法要)までの期間」を指し、本来初詣は慶事である為に喪中や忌中の家庭にはふさわしくない行事とされています。近年では「喪中であっても、忌中にかからないのであれば初詣や参拝をしてもかまわない」という考えをお持ちの方々が多く見られますが、実際には神社やお寺によって考え方には違いがみられるのは勿論の事、地域性や人によっても考え方が異なります。宗教による喪中・忌中の考え方の違いと期間については、

仏教
喪中期間 一年間
忌中期間 四十九日間

仏教における喪中期間は一年間が基本となります。日本で行われる葬儀の多くが仏式であることもありますし、この考え方は広く知れ渡っています。その為、特段の記載がない限りは仏教の考え方に基づき喪中期間は一年とされることが一般的です。忌中期間は、四十九日とされています。仏教の考え方では、亡くなった方は七日ごとに審判を受け、四十九日目に行くべき場所が決まるとされているため四十九日を一つの区切りとしているのです。現在も多くの人が行っている宗教的儀式である四十九日法要をもって忌明けとされることが基本です。また、仏教の中でも浄土真宗は考え方が異なります。

仏教(浄土真宗)
喪中期間 存在しない
忌中期間 存在しない

浄土真宗の死生観は、生前の行為に関係なく亡くなった方は誰もがすぐさま阿弥陀如来のお力により極楽浄土にて仏様として生まれ変わるというもので、浄土真宗の教えや死生観に基づくと故人の冥福を祈るという意味の喪中や忌中といった考え方はありません。

神式
喪中期間 一年間
忌中期間 五十日

かつて神道と仏教は混在していました。その名残から現在でも神道と仏教では通じる部分が非常に多いといえます。仏式と同じで神式の場合も喪中期間は約一年間と考えられています。忌中に関しては少し考え方が異なり、神式の場合は忌中期間を五十日としています。仏教では四十九日法要を営みますが、神式の場合は五十日祭を営み、そこで忌があけたと考えます。

キリスト教
喪中期間 存在しない
忌中期間 存在しない

喪中と忌中の考え方は日本のもので、キリスト教には喪中・忌中という概念が存在しません。ただ、キリスト教の中でもプロテスタントの場合は、「一か月後の召天記念日」カトリックの場合には、「追悼ミサ」をひとつの区切りとするという考え方もあります。キリスト教においては喪中や忌中のしきたりに従う必要はありませんが、反対に絶対に喪中や忌中という概念を持ってはいけないとされているわけでもありません。
このように、宗教によって「いつまでを喪中とするか、いつまでを忌中とするか」には違いがみられますし、故人との関係の深さや考え方によっても、いつまで・どこまで控えるべきかも違ってきます。それぞれの家の考え方や地域性だけでなく、神社・お寺の成り立ちや人の集まり方などによっても慎むべき期間は変わってきます。

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